入会2年が経った頃

俺がアルコール依存症で精神科病院に護送されたのが7年半前の2017年の春、
5か月の入院期間を経てその年の10月から断酒会に入会した。
その病院から断酒会への道は、半エスカレーター式だった。
病院とはAAよりも断酒会との繋がりのほうが強かった。
入会後は週2~3回の例会出席のみならず、各種研修会、勉強会、講演会にも積極的に参加した。

例会や各種イベントにも慣れ、会の内容も大雑把にではあるが把握できた。
入会して丸2年経った頃から、そろそろ例会出席のペースを落とそうと考えていた。
例会用原稿を何度も読み返しながら作成している作業が俺にとっての例会の大半を占めていた。
あとは例会場で、配分された時間を気にしながらそれを読み上げるだけだった。
次回は何をしゃべろうかと考えている時間とその内容を考える時間を大切にしていた。
例会場では、「こんにちは、こんばんは」「暑いね、寒いね」「最近どう?」と
極端に言えば、コミュニケーションの場で良いと考えていた。

入会2年が経った2019年11月ごろ、妻とのいざこざから断酒会退会の危機があった。
現在もそうだが、当時の妻は断酒会活動に対してエンジン全開だった。
断酒会に対する意欲は、酒害者本人の俺よりも家族である妻のほうが数段上だった。
俺が「一生酒は飲まないから出席は週1くらいにしよう」と言っても、聞く耳を持ってくれない。
俺の断酒に対する意識は、信じてはもらえているのだが、
彼女の向かおうとしている場所は、それ以外にもあった。
断酒会例会出席やイベント参加は、ウチのばあちゃんや実家の親との確執の問題もあり、
彼女にとっての自己啓発の場でもあった。
たまたまそこに俺のアルコール依存症というきっかけが存在していただけのことだった。

真面目で依存体質のアル中患者は、自助グループにもハマりやすい。
いわゆる“自助グループ依存症者”が全国各地にたくさん散らばっている。
その中にどっぷりハマっていると、本人も居心地が良いのでそれに気づかない。
というか気づきたくないのだ。仲間の中に身を置いて自分を慰めているのだ。
そう信じ切っているので、自分たちの活動を否定されたくない。
自分は正しいと思いたいのだ。自分で自分を洗脳しているのだ。
それに気づいてしまった俺は、断酒会の固い殻を破って、
「オレ流」でアルコール依存症と戦うことを決意し、この日記を始めた。
他人から見れば単なるひとりよがりだと思われるかもしれないが、
不毛な年間行事こなしに無理をして参加する必要もなくなった。

頻繁に例会出席しなくなった俺は、妻に「断酒日記を続けて書いている」と話してみたが、
例会出席こそ命の彼女の反応は薄かった。
どんな集まりでも、通い過ぎるとすぐに役員にさせられてしまう。
過去の俺がそうだった、都合の良いヤツと認識されいくつもの役員を兼任した。
先輩からの忠告もアリPTAも会長の役が見えて来たころに妻にバトンタッチして逃げた。
断酒会でも万年平会員の座をキープしたかった俺と、やる気満々の家族会役員の妻、
フェードアウト気味だった俺は、断酒会を退会し妻のバックアップに回る決心までした。
そしてそれまで2年間続けた例会原稿作成から、
「オレの断酒日記」に名前を変えてスタートのがこのブログの前身だ。

断酒日記は、例会原稿を書いていた時よりも筆の進みが早かった、書いていて楽しかった。
それから2ヵ月後、全世界的にコロナ禍に陥り例会も開かれなくなった。
コロナで仕事が減った俺は、断酒日記を断酒ブログに変えて早4年半が経ち現在に至る。


つづく。


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